『見えない世界の奇跡』―亡き父の愛にふれて― 相場 大幸 前編

投稿者: | 2017年6月6日

私は静岡県磐田市内に、八十四歳の母、五十九歳の妻、二十七歳の次男と共に住んでおります。長男長女はそれぞれ他の県に住んでいます。職業は建築士です。倫理を学び始めたのは平成十九年です。

 

今日は、長年行方不明だった父と奇跡の再会をし、心おきなく父を送ることができました、私の体験をお話いたします。

 

四十一年前、私が十八歳のとき、父が経営していた建築会社の倒産で、生活が一変しました。家族はバラバラの生活となり、両親は離婚し、当時四十二歳の母と十六歳の弟と三人の暮らしが始まりました。住むところも変わりました。

その日から、父とは会えなくなりました。どこにいて、どんな暮らしをしているのかも分からず、時は過ぎていきました。

いつしか私の頭からは父のことが消えていました。三十六年間、消息がわからず、もう亡くなっているのだろうと思い、子供たちにも「おじいさんは亡くなったよ。」と言っておりました。

 

十年前の平成十九年、友人から「ここに新しい人生への扉があるから開けてごらんなさい。」と誘われ、ほんの少し勇気を出して私は早朝の勉強会である、倫理法人会の経営者モーニングセミナーへ通うようになりました。温かい人たちに出会い、朝起きを続け、生活のすじみちが書かれているテキストである『万人幸福の栞』を学んでいくうちに、私の命の根元である親先祖に思いを寄せていく毎日が始まりました。

しばらくして平成二十三年九月二十八日の朝、私の会社に突然一本の電話がかかってきました。東京の中野区役所からでした。

「まことに失礼なことをお尋ねいたします。人違いかもしれませんが・・・、会社のホームページを見つけたので連絡させていただきます。もしかしたらお父様ではないかと思い、お電話させていただきました。」と。

我が耳を疑いました。なぜ今になってこのような電話がかかってきたのだろう。と思いましたが、そのときハッと気付きました。

毎日の朝起きで清々しい心で生活するようになってからは、親先祖へのつながりや恩を感じ、感謝の思いが強く心を占めるようになっていたことに。

 

母と弟と共に、父に会いに行く決心をしました。

父は東京で再婚し、吉原という姓に変わっていました。

大工仕事をし、マンションの管理人をし、ご近所からは神様仏様のような人と言われていたという事を知りました。

しかし平成二十三年二月、奥様が他界され、葬儀を済ませたのちに父は認知症が発症し、納骨もせず、そのまま奥様のそばから離れなかったようです。

最近顔を見せなくなったことを不審に思ったシルバー人材センターの所長が、警察と一緒にマンションの窓ガラスを割って室内に入り、奥様の骨壺のそばで倒れている父を発見し、そのまま日大病院に搬送されたのだそうです。

医師は、父は末期がんで、余命半年、さらに重度の認知症で、私たちのことは分からないでしょうと言われました。

会ったら何を言えばいいんだろう。今更どんな顔をして会えばいいんだろう。胸中は複雑でした。

 

次回へつづく・・・

『見えない世界の奇跡』―亡き父の愛にふれて― 相場 大幸 前編」への1件のフィードバック

  1. 冨永 恵美子

    ありがとうございます。
    相場さんが、何時も言葉の端々におっしゃっていた
    お父様の事。
    どんな事があり、どんなお気持ちか 倫理の教えがどんな作用をしたか知りたいと思っていました。
    次回、拝読させて頂きます。

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